■ 過去の告白2007.9.12

前回のコラム「突然炎のごとく」で書いたように、急にいままでやってきたことを振り返って書いてみたくなりました。
ながったらしい文章で、申し訳ないですが、コピーしてみました。
私のHPでは、割と上品に記述してありますが、ここではかなり感情を込めて書いてあります。ちょっと表現に問題もあるとおもいましたが、このときの気持ちなのでそのまま載せてみました。

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幼い頃より、音楽がこの世で一番いいものだ、と固く信じる父親からの指令によりクラシックピアノを学びつつ、レッスンの曲をさぼり、ピアノで遊ぶ日々をすごす。

中学からパーカッションを始め、東京藝術大学の付属高校へ入學するも、あまりに才媛ばかり集まっている学校の雰囲気になじめず内向的学生となる。

その後芸大へと進学するも、やはり、アカデミックな校風からはずれ、憧れの美術学部の男子学生とつきあい、わけもわからず芸術論など振りかざし酒を呑むデカダンな日々を送る。
卒業後、民族音楽のライブハウスに入り浸って、アラビア・トルコ・アフリカなど世界の様々な音楽を経験しつつ、片方では、オーケストラや室内楽、TV、スタジオなどの仕事をこなす。
イスタンブールで本場のベリーダンスを見たときに、目の前で演奏されるダルブッカのあまりの迫力ある素晴らしい演奏に日本でだらだらやっている民族音楽とのちがいを感じてしまう。この時聴いた、トルコ軍楽隊の音楽にもわくわくした。

この頃から、太鼓の魅力はクラシックの世界にはない、とおもい、より原始的な世界に共感するようになる。
現代音楽も少し演奏したが、作曲家がいちいちうるさいし、なにより、全部譜面化してあり、自由が少ないところがいやになり、だんだんやらなくなる。


90年代に入り、即興ベースの吉沢元治氏と遭遇。いきなり、まったくの即興セッションの世界に入る。
93年白州フェスティバルで、いまは亡き、即興の神様・デレク・ベーリのカンパニーに飛び込む。
吉沢元治を始めとする即興世界のベテラン巻上公一・
竹田賢一・井上敬三・沢井一恵・大倉正之助・一噌幸弘などとともに、5日間即興にあけくれる。
完全フリーの即興は、作曲されたものとちがい、完成度は低いが、音の勢いにおいては、とても魅力的でこのあと数年間即興セッションはかりやるようになる。

98年には、即興を指揮する、ブッチーモーリスとともに1ヶ月間アメリカ・ツアーをし、最後のニューヨークのミュージシャンとのコラボレーションでは、思いがけず、クラシカルなサウンドが聞けて、欧米のアバンギャルドはクラシックの延長線上なのだな、という認識をもつ。

そうこうするうち、学生時代からバンドというものにも憧れいたので、梅津和時さんのベツニ・ナンモ・クレズマ〜というユダヤ音楽のバンドに参加するようになる。そこで出会ったジャズやロック出身のミュージシャンに触発される。

音とは何か、楽器とは何かという原点に立ち返り、94年より創作竹楽器楽団・バンブーオーケストラで活動を始める。バンブー公演で訪れたジャワ島、バンドゥンでインドネシアの楽団と共演する機会をもち、彼らの高い音楽性と技術に衝撃を受ける。また、コスタ・リカのバンブー公演で出会ったマリンバには、マリンバの原点を見た。

95年には鉄の板そのもののような「音のかけら」に出会い各地の美術館で作家・金沢健一とともにパフォーマンスし、可能な限りのノイズからアンビエントなサウンドまでを追求した。同時にビジュアルも追求し、演奏という行為がそのまま身体表現になるように、動きなども追求した。新津市美術館よりCD制作。

2000年からは、陶芸家・渡辺泰幸と出会い「土の音」のパフォーマンスも手がけ始め、妻有トリエンナーレなどで コラボレーションする。

ダンスなどの身体表現が好きで、様々なダンサーとコラボレーションする。
モダンダンスの加藤みやこ主催HHW(ホット・ヘッド・ワークス)では、憧れの笠井叡と共演する機会を持つ。翌年のHHWでは、上杉貢代・山口小夜子・近藤良平らと共演。音楽ディレクターを務める。

このほか、MMAC(ミクスト・メディア・アート・コミュニケーション)では、舞踏の徳田ガンらとポーランド、フランス、ミュンヘンなどで無言劇「あとかた」を上演。
こういった海外のアートフェスティバルでは、自由な空気があるのと海外で自分の手持ちの楽器が少ないこともあり、いろんな道具でパフォーマンスをした。
イタリア・サルジニア島では、ドラム缶でソロパフォーマンスし、拍手喝采される。
ポーランドでは、クサリ・ポリバケツ・などでパフォーマンスなど、各地でみつけたモノでパフォーマンスした。背景にはこのころ見た、イギリスのストンプや、NYで見たブルーマンなどの影響もかなりある。

演劇とのコラボでは、千賀ゆう子(早稲田小劇場出身)ユニットで、ギリシャ悲劇を東京・ギリシャで上演。

語りの世界では、古谷和子と「小栗半官照手姫」でアデレードフェスティバル・フリンジへ参加。
岸田今日子とミヒヤエル・エンデ「満月の夜の伝説」
で音楽担当。
だが現在は、言葉との仕事は音楽が背景になりやすく、言葉の説明になってしまいがちなので、やっていない。
実際、言葉の説明の音を要求する演出家も、役者もいる。岡本太郎美術館・金沢健一個展でのパフォーマンスでは、自分たちで「太郎の言葉」をいいながら、音を出したのだが、それは言葉と音が並列であり、おもしろい試みであった。




97年に鉄だがとても柔らかい音の波紋音に出会い、この音に合うような、寺・能舞台・古民家などで演奏を続け現在に至る。
今まで様々に刺激的な音楽をやってきたので、波紋音を演奏しているときにも時々そういう部分が見える人には見えるらしい。
異分野とのコラボやミュージシャンとのセッションなどを続けてきて少し疲れたので、現在はソロ活動を中心にしている。


ワークショップでは、民族楽器や、手で触れるだけで音が出るような楽器を用い、五感を使って振動を体感してもらったり、楽器の歴史などの話しをしたりしている。
モチベーション的には、自分が受けてきた教育への疑問、日本の学校教育全般への疑問などが強くある。

2007・5・28 記


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