■ エッセー原稿  2008.8.21

またまた、コラムのほう大変ご無沙汰してしまい、申しわけありません。
5月18日、とだいぶ以前のことになってしまいましたが、波紋音に関するエッセー原稿が新聞記事となりましたので、ここに紹介させてただきます。

きっかけは、法華経の現代語訳をサンスクリット語から翻訳する、という大変なお仕事をされ「梵・漢・和・対照現代語訳法華経」を岩波書店より出版された、植木雅俊さんの出版パーティーで波紋音を演奏したことです。植木さんが大変興味をもってくださいまして、編集担当されている公明新聞・文化欄にエッセーを書きませんか、とお誘いくださいました。日本人論など簡単にひとくくりにできない問題もあり、言葉足らずの所もありますが、普段考えていることを素直に書いてみましたので、ご覧いただけますと幸いです。

今読み返しますと、随分と贅沢ないいぐさにも聞こえます。もしこの原稿に対する、感想、反論など、ありましたらどうぞCONTACTよりお寄せください。


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        〜日本人の“記憶”呼び覚ます波紋音〜 

【打楽器奏者とは】  
パーカッション奏者の私は、様々な楽器を演奏してきたが、1997年に出会った波紋音(はもん)という鉄の創作楽器に出会ってからは、この楽器が演奏活動の中心となっている。

幼い時からクラシックの教育を受け、芸大では、西洋楽器を主に勉強してきた私がなぜ、このような創作楽器を演奏するようになったのだろうか。振り返ってみると、家庭の教育方針で、幼い頃からピアノを学んでいた私にとって、西洋音楽は身近にあり自然に親しんでいる音楽だった。付属高校から芸大の打楽器科へ、そこでも、当然ながら西洋音楽中心に勉強することになる。

ピアニストやバイオリニストとちがい、クラシックのパーカッション奏者というのは、様々な打楽器をまんべんなく演奏できることが義務づけられている。打楽器のソロの曲などでは、奏者は目の前に並んだたくさんの楽器をこなし操る、スポーツ選手のような鋭敏な体と手を要求される。

現代曲で作曲者が生きている場合、そばであれこれ細かく指示されることもある。テインパニー、マリンバ、シロフォン、ビブラフォン、ドラ、小太鼓、木魚、などなど、きりがないくらい並んだ大小さまざまな楽器を目の前にして、あっちこっちへ叩く作業はなかなか大変だ。

優秀な奏者とは、こういう難曲に意欲的に立ち向かう人のことを言うのであろうが、もともと天邪鬼な私は、なんでこんな大変な思いをしなければいけないのか?もっと少ない楽器でゆっくり丁寧に音を出したいのに、と、なんとなく抵抗を感じていた。

【お仕事から自己表現へ】
卒業してからも、オーケストラ、室内楽、スタジオなどで仕事をこなす日々を送っていたが、ここでも、自己表現をしているのではなく、単にお仕事をしているだけではないか、という漠とした思いが常にあった。オーケストラでは音楽が指揮者によって総括されているので、そこでやっている音楽は総体としては素晴らしいものでも自分という人間が、指揮者の音楽表現のパーツになっているような気もしていた。

そんなもやもやした気分のときに、即興ベースの鬼才・吉沢元治氏(故人)に出会い、いきなり即興音楽の世界に突入することになる。即興音楽の世界は、それまでの譜面にきちんと書かれている世界とはまったくちがい、失敗すれば、音楽が成立しない危険もはらんでいるが、いい音楽家が集まると、活き活きとした音で、その場でしか生れない音楽が創れ、私にはとても魅力的な世界だった。

一方、楽器にかんしても、打楽器の原点をさぐろうと民族楽器を演奏したり、竹の楽団・バンブーオーケストラなどに所属し竹そのものを叩いたり、と序々に素材そのもののような、シンプルな楽器を演奏する傾向にシフトしていった。

【波紋音との出会い】
大学時代自分の音楽について悩んでいたときに、お寺の梵鐘の音がどこからか聞こえ、ゴーンというその一音で心安らぐ自分にはっとした思いがある。そのころ西洋音楽と格闘していた私は、その一音で、それまでの外側から学んでいた音楽ではなく、自分の内側の声を聴きなさいといわれたような思いがした。天からの啓示だったのか・・・。

  それから何十年もかかってこの波紋音に出会ったのである。作家が水琴窟の音に触発されて創ったという波紋音を最初手にしたとき、一音で、独特の宇宙を持っている音だとおもった。波紋音がずらっと並んでいる佇まいは美しい。それは美術家の創ったものだから、楽器であると同時に美術作品でもあるからだ。コンサートというものが音だけでなくビジュアルも大事と考えている私にとってこのことは大事なことだ。 

この音に惹かれる人は多く、波紋音を所有している人も各地に点在している。水琴窟だけでなく、鳥の声、風のそよぐ音、など風景の中で聞こえる音を自然とともに愛でていた日本人。波紋音の音は、そんな日本人のDNAの記憶を呼び覚ます音なのかもしれない。人工的で暴力的な音で満たされている現代だからこそ、このような音が求められているのではないだろうか。

2008/05/18 公明新聞・文化欄   永田砂知子


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