■ 07/12 詩人とコラボレーション2009.1.7

さて14日は苫小牧へいくのですが、苫小牧在住の詩人・森れいさんという方の詩の朗読とコラボすることになりました。

送られてきた作品をじっと眺めてみると、なかなか骨太の作品でいいかんじだ。
森れい、さんは、シルバージュエリー作家でもあるので、ジュエリーをつくるときの心情なども作品のテーマとしてある。

ちょっとあるフレーズを拾ってみる。
(行変え、漢字変換などは原文のままです)

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「誰かの胸を飾るはずの銀の光沢が
その人の切りひろげようとする新しい世界に
まっすぐ降り注ぐ力となることを願って
密かに刃を仕込む」

「胸にさげられた重さによって
歩む姿が確かであるように
憤りや悲しみを鎮める鎮であるように」

・・・中略・・・・・・

「鍛えとなましの  愛といたぶりの
熱と冷水の いどみとこびのわざが
くりかえされて
銀とわたしの一日はくれていく」

・・・(このあとまだ詩は続きます。全部手書きで書かれていますので、筆跡に迫力を感じます)・・・・・

私のまわりに物作りの作家さんは結構いるのですが
作品を作っているときの心情などは一切語ったりしないので、
この詩を読んでいると、作家がものを創っているときどんなことを考えているのか、よくわかって、おもしろい。

森さんは所謂アクセサリーのような小さなものを創っている方だとおもうのだが、この詩を読むと、まるで抽象彫刻を創っているようなかんじがする。
私の演奏している波紋音も鍛金という技術で作られているので、「鍛えとなましの 愛といたぶりの・・・」というフレーズが特に興味を引いた。素材が鉄と銀というちがいはあるが。こうやって、素材と向かい合っているうちに、我々が楽器によって性格がある程度かわってきてしまうように扱う素材によって、人間も変わってくるのだろうな〜とか色々想像してしまう。

さて、この詩にどんな音をつけるのか、最初この詩におめにかかった時は、これは波紋音の音は合わないな〜もっと、重くて無骨な音が頭の中にイメージしたのだが、そんなに詩にぴったりあわせることもないのかな、と思いなおし、波紋音でなんとかやってみようと思う。札幌へ向かう飛行機のなかでかんがえるとしよう。


さて、最後に11月に新横浜でコラボした詩を紹介しよう。
この方関口利哉さんは、家庭も子供もいる中年男性だが、詩人デビューしたばかりの新人です。なんと勤めをやめてしまったらしい。
朗読の会をしたいといって、会場となったスペースオルタに相談に来たのだが、オルタ企画のSさんが詩を読んだら、波紋音だ、とひらめいたので私にメールくださり、私も詩を読んで好きな詩だったので、OKした、ということです。
私に送ってくれて共演してもいいな、と思ったきっかけの詩をここに書いてみます。

森れいさんの詩とまったく傾向がちがうのですが、この明るく、かわいく、ちょっとせつない詩も私は大好きです。谷川俊太郎さんの詩を思い出しました。
(行変え、漢字、カタカナ変換、句点は原文のままです)

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娘の神様たち

娘が石ころを拾ってくる
木の切れ端や松ぼっくりや
枝を拾ってくる
落葉を拾ってくる
これもこれもこれもこれもこれも
ダイジだよ、ステナイでよという

窓の桟にひとつ、またひとつ
どんどん増えて
桟はもう一杯なのだが

どこにもあって
じっとしているもの
ごみみたいなもの
どれもこれもが
尊い
娘の神様たちなのだ

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