■ 06/1/28〜30国際芸術センター青森・報告その1 レクチャー2006.2.2

冬の青森へいってきました!
一面雪雪雪で真っ白の青森。そんな青森では冬は人々の気持ちも暗くなるといいます。

さて今回の仕事はレクチュアー・ワークショップ・コンサートと盛りだくさん。
まずレクチュアーですが、でかける朝まで原稿手直ししてもっていったのですが、
眼にまえの小学生の顔をみたとたんに、原稿の堅苦しい文章を却下し話し言葉に変換。

私のテーマ、明治維新より入った西洋音楽と日本古来の音楽との関係を小学生にわかるように話そうとしたのですが、実際に現役の小学生に「わらべうた」の話しをしても、よくわかんない、といわれてしまい、今の子供は、あそび歌とか歌わないのか〜とがっくり。
こういう変化はしかたないのかもしれないが、私としては、どんどん日本の姿がかわってしまって、ついてゆけないのです。地域での遊び場でこども達が一緒に遊ぶことが少なければ、あそび歌はへってゆくし、そういう歌を知っている世代が伝承しなければ、消滅してしまうのかもしれませんね。

私にとっては、現在アメりカがその力でもって世界を支配しようとしていることと同じくらい、世界にはいろいろな音階があるのに、西洋音階が、そのうしろにある西洋合理主義という思想のもとに世界を支配しているかのような錯覚が気になってしょうがないのです。確かに現在の平均律は便利な音階だし、私もピアノなどひいていますが、それだけではない、ということを、いい続けていくのが私の使命だとおもっています。

楽器の歴史なども私の大事なテーマです。
2万年前にクロマニョン人がマンモスの骨を打楽器にして、アンサンブルを楽しんでいた
という考古学者の研究があります。もともと人類は身近なもので音をだして楽しんでいたようです。それが長い年月をかけて発展し、ヨーロッパでは音楽がコンサートホールという大衆に開かれた場所で演奏されるようになり、音量を大きくする必要があり、ますます改良され現在の形になったといえるでしよう。

私は変わり者らしく、この発展しつくされたものより、原始的なものに興味があり
クロマニョン人はどうやって音を楽しんでいたのだろう、と想像するとワクワクするのです。

1日目は「音楽教育の問題点」2日目は「音楽の可能性」というタイトルで講義形式のかたちでお話ししましたが、3日目は参加者の人数が少なかったので、みなさんと話し合うという形で、いろいろと語り合いました。地元のかたから、これからの津軽三味線の可能性の質問なども出て、地方色のある話合いになったとおもいます。


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