ワークショップです。
今回はまず身体をつかってできること、ということで、ボディパーカッション・声・動き・などで表現することをしました。
輪になって、声や身体で遊んでいるうちに、だんだん盛り上がってきて、気がついたら、全員で足音や手拍子のフラメンコ状態になっていたり、まるでインドネシアのケチャみたいなトランス状態になっていたりと、私自身も踊るのが好きなので、久しぶりに全身汗だくで楽しみました。
また、センターの台所を夜中にあさって、サラダボールや、ふりかけ類など日用品でも音を出し、セッションしました。(台所は音のでるものがいっぱいあります) これらの日用品や、青森の知的障害の施設「ふうあの会」からかりたパーカッションなどを用い、みなで曲つくりをしました。「ふうあの会」の楽器は昨年私が障害のあるひとにでも演奏できる楽器を選んでほしい、ということで東京で選んだ楽器でしたので、だれにでも演奏できる太鼓やバラフォンなどあったのです。
曲のタイトルは「雪の日に国際芸術センターへワークショップしにゆく」です。 雪の日の音。つららの光るかんじ。雪道をあるく音。などどんどんアイデアがでます。 雪の日のセンターのしんとした雰囲気を表現する音。(シンギングボールなど) 少し春のきざしもでてきたかんじの音。(カリンバや、茶碗、などポツリポツリと) 会場で初めて合う人たちとこんにちは、と出会い、会話し、なごむ様子を音にする。 これは私がもっていった、お風呂のおもちゃ(おすとプープーいうかわいいおもちゃ)が、会話しているかんじがとてもよくでて、活躍していた。 そのうち、打ち解けてきて、セッションするところでは、板きれが活躍。 この板はある彫刻家の家にいったときにみつけたもので、作品を輸送する時の箱を解体した板で、いい音がしたのでもらってきたものです。 最後は太鼓がでてきて、盛り上がって、終わり。(このあとに、静かな音が余韻として残る日もあった)
これも予想外にスムーズにいきました。 3日目のご婦人がかわいく、少女のように無心に板きれをたたいているのが、とても印象的でした。 この板きれの使い方は、木琴の一番原始的な使い方で、すわって伸ばした足の上に板をのせ、たたく、というものです。板を土の上にじかに置くのではなく、足の上に置くことにより、浮いた空間が共鳴するわけです。このあと、アフリカでは足の代わりに瓢箪になったり、南米では木箱になったりして木琴は発達し現在学校にある木琴は、金属でできたパイプになった、という歴史があります。初めてこの木をたたいている写真をみたときは、なるほど!と納得したものでした。(たしか学生時代ですから今から30年くらい前の話しです)
3日目参加のかたがたは中高年のかたたちで、一瞬今日はノリがわるいかも(失礼!)と おもったのですが、楽しい、楽しい、とノッテくださり、うれしかったです。
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