■ パリで出会った人々  音の出る美術・Bernard Baschet2009.11.14

パリでは、コンサート以外にも色々な出来事があり、様々な方との出会いがあったのですが、そのなかからいくつかお話します。

まず、ベルナール・バッシエさんから。

バッシエさんという名前を聞いたのは、確か、いまから30年近く前のことだ。打楽器奏者で、創作楽器を創っている、佐藤英彦さんという打楽器界の大御所がいらっしゃるのだが、そのかたから聞いたのが初めてだった。(佐藤さんというのは、マリンバのマレット制作で有名な方でもあり、安部圭子さん始め、プロのマリンバ奏者でsatoマレットを使っている人は多い)

佐藤さんは、70年大阪万博・鉄鋼館で、バッシエ兄弟(バッシエさんは兄弟で制作している)の創作楽器を使って、武満徹の「四季」などを演奏したときのメンバーだ。演奏メンバーはほかに、ツトム・ヤマシタ、マイケル・ランタ、山口恭範氏、など一流のメンバーだ。

佐藤さんはそのときに、バッシエ兄弟の創作楽器に強く感動し、それ以来、創作楽器を創り始めたそうだ。

そして、のちに、私がその佐藤さんの創作楽器の演奏をするようになった、ということ。私にとっては、今につながる創作楽器の道へと進む第一歩のきっかけとなった、その開祖であるバッシエさんが、まだ生きていらっしゃるということ。
たまたま、最後のコンサートの会場の主であり共演者でのピエール・マルボさんが、ピアノ・バッシエ・マルボという楽器を演奏し、バッシエさんと親しいので、紹介してあげるよ、と言ってくれたこと、などなど偶然がかさなり、アトリエでお会いできることになった。バッシエさんがまだ健在だというだけで奇跡のようなことだというのに、お会いできるとは・・・なんとラッキーなことだろう。


92歳で、かくしゃくとしたベルナール・バッシエさんは、日本から来た私を大変優しく歓迎してくれ、ご自分の創作楽器をどれでも自由に触らせてくれた。
日本人で、あなたに影響を受けて創作楽器を創り続けてきた打楽器奏者・ムッシュ・サトウから資料を預かってきましたよ、と言うと、「そんな人がいることは知らなかった」と言って、喜んでくれました。

私のまわりでも、鉄鋼館の音のファンがいるので、そのことも伝えたら、そんな話は初めて聞いたよ、と言ってびっくりしていた様子だった。大御所だから、といってえばる風でもなく、とてもフランクな方だった。

また波紋音を紹介すると、日本人は耳がいいね、と言ってくれました。

どちらかというと、バッシエさんの作るものは、オブジェ的な要素が強く、形もはっきりしていて、波紋音の世界とはちがう方向のような気もするが、私のコンサートにもいらしてくださり、とてもよかったよ、と言ってくださいました。


美術家が作る音の作品、という難しい立場にいらっしゃって(音の出る美術というのは、なかなか微妙な立場で理解されるのが難しい)、すでにフランスで大御所のベルナール・バッシエさんですが、外の世界へ開かれていて閉じることのない、偉大な人物でした。


バッシエさんが生きているうちにお会いできて本当によかった。


ベルナールとフランソワ、バッシエ兄弟のホームページはこちらです。
http://francois.baschet.free.fr/front.htm

           



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